■Being given
Graceの訳語は幸せであり、恩寵である。 わたしは、このように世界を知っている。このように世界の単語を使い、このように世界を把握している。そうして気が付く。Graceと恩寵の狭間にある世界。この作品があらわしている言葉にならない空間があることに。
美術作品も、またもう一つの言語/記号に他ならないのかもしれない。しかし、誰もが幼い頃、文字よりも先に見入るように覚え、何度も見た絵本の体験を持ちえていなかっただろうか。その時、文章ならざるものの、音と絵の持つ空気を呼吸するように、理解してはいなかっただろうか。それは、まだ言語未分化の世界で、はっきりと形付き、息づいていたものではなかったか。
わたしにとって、内藤礼の作品は、いつでも、そういった言語未分化の体験を思い起こさせる。はっきりと知っているもの。でも、言葉ではなく、形でさえないもの。見えないもの。名づけられないものへの、視線。わたしはそこに、微かだが、はっきりとした幸せを見出す。
Graceではなく、Being givenとしてあらわされた空間。与えられた。誰かによって、何かによって。そのことの幸福を、東京のこの何千という人の波の中で、たった一人で、もう一度知る。その微かな視線が、何事にも、何者にも、平等に注がれていることに、わたしは新たに畏怖し、幸福に満たされて、何度も何度も振り返りながら、会場を後にした。
確かに、わたしはこの空間を知っている。
「恩寵」 Being given
ナディッフ 東京
6/6-7/7 2002

【Artist statement】
これは2002年に
内藤礼さんの恩寵という作品を見て書いた文章です。
それから20年たって絵を描きたいと思いました。
写真を撮りたいと思いました。
その時、この文章が思い浮かびました。
言語活動が20%しかない
私の内的な活動を映し取るのに
一番適した手段がきっと
絵であり、写真であり、
紙であり絵の具と色鉛筆であり
色と素材と形ではないだろうかと思いました。
私の内側と外側が均衡になって
美しく丁寧で安心で
繊細で豊かで静かで自由な
循環する音楽が生まれるよう
私は絵を描きます。
この文章にあるような
言葉にはならない空間を慈しむために。
